■時間の流れの中で、様々な選択肢が分岐した道があっても、
「事後の見え」からすれば「一筋の道」に見えるよな
「ほかにも、道はありえたはず」という「当事者の立場」
に差し戻そうという想像力を前面に躍り出る理解も
なくはない・・・
■九十九里へ向かう列車の中で読んだ・・・話【結論】
○科学的理解は、
「原因から、必然の道筋の中で生まれてきた結果(現実)」
の理解を促す
○物語的理解は、
「(結果となる)現実の生成に関わった判断や思惑、
あるいは様々な偶然が重なる中で生まれた現実」の理解を促す
①〓事後の理解(科学的理解)と事前の理解(物語的理解)〓
「将来時点」から見れば簡単にわかることが、
その当事者にはわからない
ほどほどに完遂すれば翻って思い出すことは(あまり)ない、よな②〓外部者の立場と当事者の立場〓
現実を見る立ち位置が異なる
鳥の目に見える道も、地表の虫には見通せない
③〓直線的理解と曲線的理解〓
多様な曲線的理解には、
各人の曲線的発想に基づくので、誤解や論争のネタになるよな
④〓必然の論理と偶有の論理〓
○直線的理解では
「ほかでもありうる可能性(偶有性)」を見ない・・・「必然の道」
○曲線的理解では
「他の道も、他の現実も、ありえたかも・・・」という現実に潜在
する可能性を含めた理解をおこなう
■科学的理解は点(原因)と点(結果)を結んだ、
単純で明快な、少ない概念で表される現実像なので伝えやすい
でも、曲線的理解は科学的理解を
「事前の見え」「当事者の見え」に差し戻すことで紡ぎだされる理解
であり、科学的理解ではそこまでの深い理解が生まれることはない
二手に分かれた先には鬱蒼とした黒い松林が控えている・・・
(たぶん)道はどこまでも続くのだろうけど、
ガッカリしない偶然の積み重ねを得たいのは人情、
っていうのも事実・・・